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ドーム犬舎


Boxerzwinger vom Dom

シュトックマン婦人作

貴方がボクサーの仔犬を買った時、たとえそのボクサーが優秀な血統であろうが、近所でたまたま生まれたボクサーであろうが、美しいボクサーであろうが、野暮ったいボクサーであろうが、その仔犬には沢山のドーム犬舎出身のボクサー達の血が脈々と流れているのです。だから貴方の犬は、ボクサーなのです。
近代ボクサーに大きな影響を及ぼした数々のボクサーを輩出したドーム犬舎の歴史は、シュトックマン夫妻の歴史と婦人の人生であると言えます。


婦人のフリーデルンとドーム犬舎のボクサー達



夫人のフィリップとルスティヒv.ドーム(左)、ツォルンv.ドーム(右)


1891年、バルト3国、ロシア領の一つ、ラトビア共和国の首都リガで生まれたフリーデルン・ミランは、幼少の頃に、兄が持っていた犬のカレンダーを見ていたところ、「ブレンバイザー」という犬に大変興味を持ち、何時かは必ず飼ってみたいと切望していた、大変犬好きな少女でした。彫刻家を志していた彼女はその後ミュンヘンで学び、そこでボクサーを通じて知り合ったのが後の夫となるフィリップでした。フリーデルンは彼が飼っていたボクサー「プルート」を譲り受け、1911年、この犬が「ドーム犬舎」の第1号として犬籍登録されたのが、その後偉大な功績をおさめたドーム犬舎の始まりです。
この間、2人は学生結婚し、本格的にボクサーの繁殖に没頭することとなります。
夫人は建築技師で物理学などの知識を持ち、2度の大戦の間はアメリカに審査員として招かれています。ドイツでもボクサークラブでBoxer Blatter(ドイツボクサークラブの会報」の編集に携わるなど、クラブの運営にも携わっていました。
婦人は彫刻家として解剖学基礎知識を持ち合わせ、繁殖者として、また非常に理論的な研究家として、指導的立場で活躍しました。婦人の著書である「犬の応用解剖学」は、非常に理論的かつ専門的に犬の骨格・運動について述べられています。


最初の台牝 ラスカ v. ドーム


ドーム犬舎は数年であっという間に大世帯になったのですが、犬舎で初めての台牝は、夫妻にとって2頭目のボクサー、ラスカです。


912年のドーム犬舎
ロルフv.フォゲルスベルク(右端)は近代ボクサーに強い影響を残した


繁殖を志してから間もなくして、幸運にも当時縞の牡で一世を風靡していた「ロルフv.フォゲルスベルク」を手に入れることができました。上の写真に見るように、ロルフは当時ひときわ大きいボクサーで、ブルドックを脱し切れない当時のボクサーの改良に大きく貢献しました。
当初、ロルフは背部の欠点から、あまり種牡として価値を認められていませんでしたが、婦人は確信を持ってロルフでの繁殖に取り組み、ドーム犬舎の名を広めると共にその後のボクサーを変革していくことになります。


Sieger、Am.CH ダンプv.ドーム


ドーム犬舎繁殖犬で初めてSiegerを獲得したダンプv.ドーム。父はロルフv.フォゲルスベルクです。
1914年、Siegrを獲得したその日にダンプはシュトックマン夫妻の元を離れ、アメリカに渡りました。その後、ボクサーとして初めてのアメリカチャンピオンになった、記録に残るボクサーです。


軍服姿のフィリップ・シュトックマン(右)とボクサー


第1次世界大戦で召集されたフィリップ・シュトックマンは「軍犬隊長」としてボクサーを採用し、ボクサーの使役犬としての価値を内外に知らしめました。ドイツで初めて軍用犬として採用されたのはシェパードではなく、ボクサーだったのです。しかしこの時、使役犬としてはボクサーのサイズがどうしても小さすぎると考え、サイズの引き上げを断行しました。というのも、婦人はこの考えには断固反対だったのです。理由は、サイズ引き上げによる肩甲骨の角度不足を招くからというものでした。
ちなみに、ロルフv.フォゲルスベルクはこの戦争に参加し、見事任務を果たし生還しています。


1920年代前半頃のドーム犬舎


第1次対戦中、食糧事情が悪くなってボクサーの餌に不自由していたこともあり、婦人は農家を始めました。鶏10羽と羊3頭から始めたそうで、後には写真のように農耕のための馬や牛を飼うようになりました。


イヴァイン v. ドーム


1925年に生まれたイヴァインv.ドームは、婦人にとって特別な思い入れがあったようです。
イヴァインはロルフv.フォゲルスベルクの系統繁殖犬で、とても良い牡だったようですが、かなり警戒心の強い犬だったようでSiegerを獲得することは出来ませんでした。
しかしイヴァインは大変頭が良く、忠実だったそうで、それまでは断然縞のボクサーが好きだった婦人は、イヴァインとの暮らしで茶のボクサーも認めるようになったと言っています。
イヴァインはSiegerにはなれませんでしたが、種牡として2頭のSiegerを輩出しました。


Int.CH ジグルト v. ドーム


婦人のお気に入りだったイヴァインの息子。近代ボクサーの4大基礎犬の1頭であるジグルトは、ドーム犬舎に素晴らしい栄光と繁栄をもたらしました。ジグルトはショーで負けることなく、又種牡としても多くのSiegerを輩出した傑出したボクサーでした。
彼の直仔達も種牡、台牝として優れたものが多く、他の3頭の4大基礎犬の祖父となり、歴史的種牡となりました。
その後5歳になってからシュトックマン夫妻の元を離れ、アメリカに渡った彼は、バーメア犬舎でも引き続きショーで活躍し、種牡としても沢山のアメリカチャンピオンを輩出しています。これを皮切りに、彼の息子や孫のタイトル犬の多くはアメリカに輸出され、まさに世界近代ボクサーの祖となったのです。


ジグルト(左)と息子のツォルンv.ドーム(右) クセルクセス v. ドーム


数あるジグルトの直仔の中でも、後世に名を残したのはツォルン、クセルクセスの兄弟です。
ツォルンとクセルクセスは全兄弟で、共にショーでは一流のボクサーでは無かったのですが、ツォルンは4大基礎犬のうちの2頭、ルスティッヒとウッツを出し、クセルクセスはドリアンv.マリエンホーフを出しました。
ツォルン、クセルクセスの母犬とジグルトとの交配は数回行われ、この組み合わせで多数の良いボクサーが誕生しています。


Int.CH ルスティッヒ v. ドーム


ルスティッヒは、長いドーム犬舎の歴史の中で、婦人が一番愛したボクサーでした。
仔犬の頃、額から口吻部かけて幅の広い大きなマーキングがあり、鼻もピンクだったので婦人は安く譲ろうと思っていたのですが、1ヶ月もするととても美しく、またいつでも楽しげに跳びまわる、一際目立つ存在になりました。ルスティッヒ(Lustig)は、ドイツ語で「愉快な」という意味です。
ルスティッヒは期待以上のボクサーになり、祖父ジグルトと同じくショーでは負ける事がありませんでした。血統的にはジグルト(2-2)の極近親繁殖犬で、さらに洗練された輝きを持った魅力的なボクサーだったようです。
種牡としては特筆すべき成果を生み、多くのSiegerを輩出しました。特にルスティッヒの系統は、ホワイトマーキングをはじめ、洗練されたルスティッヒのタイプを受け継いだボクサーが多く出ました。
1960年頃までは、ヨーロッパのボクサーはルスティッヒの系統一色でした。今日のボクサーで、血統中にルスティッヒが入っていないボクサーはいないと言われています。
しかし、2度の大戦の間のドイツは貧困を極め、夫妻も例外ではありませんでした。富の国アメリカからは夫妻に対して数々の引き合いがあり、苦悩の決断の上、ルスティッヒを手放す事にしました。婦人は思い悩み、かなりショックだったようです。
アメリカに着いてたルスティッヒの首輪には、「私は栄光に満ちたルスティッヒです」という名札が付いていたそうです。
ルスティッヒは3歳でアメリカのトゥルギーウッド犬舎に入舎し、大活躍しました。又、ルスティッヒの直仔、孫で優秀なボクサーの大半はアメリカに渡っており、それはジグルトを凌ぐものでした。
婦人は2度とルスティッヒに合う事はできませんでしたが、夫人は翌年にアメリカのウエストミンター展で審査した際に再会し、BOBを与えています。婦人はその11年後にアメリカに審査に訪れた際、ルスティッヒの墓を訪れ、感激したようです。
その墓は、今でもあるとのことです。


Int.CH ウッツ v. ドーム


ウッツはルスティッヒの全弟で、兄ほど高貴ではありませんでしたが、良く似たタイプの優秀犬でした。
ウッツの活躍は専らアメリカに渡ってからのもので、マゼリン犬舎で種牡として大活躍し、ドリアンv.マリエンホーフと共にアメリカの2大系統を築き上げ、今日のアメリカボクサーの基礎となりました。


第2次世界大戦中で夫人は再び召集され、シュトックマン一家も貧困に喘ぎました。
大戦中は、使役犬は全て訓練試験にパスすることが義務付けられていました。また、軍から度々軍用犬のためにボクサーを献上するよう要求され、ドーム犬舎からも数頭のボクサーが戦場に赴きましたが、1頭として戻ってくることはありませんでした。

戦後,夫人は戦犯として拘置され、残念ながらそこで病に倒れて亡くなりました。夫人はどこに埋葬されたか判りませんでしたが、後日遺品として婦人のもとに届けられたのは、ボクサークラブの名誉会員バッチと、ボクサーブレッター(クラブの会報)でした。
夫人の死後3日目、夫人の最愛のボクサーであったフィニーv.ドームも後を追うようにして死んで行きました。
どこに埋葬されたかわからない夫への気持ちも込めて、最愛のボクサーであったフィニーは手厚く埋葬されたそうです。

しかしその後も夫人はボクサーの繁殖を続け、更に優秀なボクサーを送り出し、世界中にドームのボクサーを送り出しました。
当時は、何とか犬舎の運営を維持して行くために、ドイツ国内の数々の名犬がアメリカに買われて行きました。
ドーム犬舎でも例外ではなく、当時Siegerハイナーv.ツヴェルゲックとSiegerカルロv.d.ヴォルフスシュルフトが種牡として活躍し、また経済的にも2頭の交配料で犬舎を継続できていましたが、戦後はカルロをアメリカに送りました。
その他、アメリカ軍の軍人が度々犬舎を訪れては仔犬を買っていったようですが、栄養不足のためか、仔犬も満足に育たず、出産後次々と仔犬が死んでいくのでした。
ドーム犬舎にとって、ルスティッヒの渡米から戦後までの間は、かなり厳しい時代だったようです。



Sieger ハイナーv.ツヴェルゲック Sieger カルロv.d.ヴォルフスシュルフト


1949年、夫人はアメリカに審査員として招待を受けました。当時はドイツ人はまだアメリカへの入国を許可されていない時代でしたが、特別に招待されたのです。
この時すでにアメリカにはドーム犬舎のボクサーが沢山渡米しており、夫人は自分のあまりの知名度の高さに驚いたようです。
この時の審査で、生後70日のバングアウェイofシラークレストにBOBを与えたのは有名な話で、その後バングアウェイはアメリカボクサー史上に語り継がれる名犬となりました。
しかし、夫人のアメリカボクサーを見た感想は、「進歩が無い」というものでした。当時ドイツの一流のボクサー達は全てアメリカに渡り、ドイツのボクサーのレベルはかなり落ちていたようですが、夫人は、アメリカのボクサーに満足できなかったようです。

この時、夫人はいくつかのアメリカの犬舎を訪問し、その中に「マゼリン犬舎」と「シラークレスト犬舎」がありました。
この2つの犬舎からは、ボクサーをプレゼントされ、ドイツに持ち帰っています。


Sieger クザーダス of マゼライン


マゼリン犬舎からは、クザーダスという縞の牡をプレゼントされました。
クザーダスは、ドイツでは「牡としては線が細すぎる」という評価もありましたが、なんとSiegerに輝いています。
その後、夫人の親友であるイギリスのドーソン氏に譲りましたが、そこから再度アメリカに渡っています。
アメリカでの繁殖犬がドイツのSiegerになった、最初にして最後のボクサーです。


グッディーグッディー(左)とアブラダブラ(右) アブラダブラ of シラークレスト


シラークレスト犬舎では、60頭ものボクサーの中から、牡牝1頭ずつを選び、持ちかえりました。
牡はアブラダブラという縞で、とても闘争本能が強く審査会では思わしい成績を取れなかったようですが、プリムスv.ドームというチャンピオン犬を出し、その後のドイツでの1大系統を築いています。
グッディーグッディーは美しい牝だったようですが、かなりサイズが小さく、仔犬達も小さい犬が多かったようです。
ハイナーv.ツヴェルゲックに交配し、フローリッヒv.ドームという、とても気品のある良い牡を出しました。フローリッヒはイギリスに渡り、種牡としてイギリスで大活躍ました。

これらのアメリカボクサーを輸入した時、夫人は周りから「ドーム犬舎はアメリカボクサーの影響で不振に陥る」と言われていました。
それは、この時すでにアメリカボクサーは下顎の発達に欠けていたからです。アブラダブラもその例外ではありませんでした。
しかし夫人は、自らがアメリカに送り出したジグルトやルスティッヒの直系であるアブラダブラの成功を確信していたようです。


Sieger ゴーデヴィント v. ドーム


ゴーデヴィントはアブラダブラの直系で、1959年生まれのドーム犬舎後期の代表作出犬です。
その後ゴーデヴィントはドイツで一大系統を確立しました。
ゴーデヴィントの直仔はイドゥンナv.ドーム(牝)とインカv.ツヴェルゲック(牝)が来日しています。


ギルダ v. ドーム

ギルダはゴーデヴィントの同胎牝で、やはり日本に輸入されています。



1960年代のドーム犬舎


婦人の左に座っているのは、ルスティッヒの直系である、ヴァイキンクv.ドーム(牡)で、足元の左に座っている縞の牡がゴーデヴィント、その前、写真のちょうど中央下に伏せているのが、ゴーデヴィントの父、リバールです。
彼女の晩年は、愛娘や孫、そして多くの弟子や愛犬家に囲まれて、幸せな生活を送っていたようです。
1972年に亡くなり、犬舎は娘が引き継ぎました。
数々の名犬を作出し、世界中の多くのボクサー愛好家を指導してきたその生涯は、まさにボクサーに捧げた一生と言えるでしょう。
ここに登場したボクサー達の多くは、今貴方を主人として慕っているボクサーの先祖達なのです。
私達がボクサーを愛しつづける限り、シュトックマン夫妻のドーム犬舎は永遠に忘れられることはないでしょう。

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