現在のボクサークラブが設立されたのは、1895年のことですから、ようやく130年の歴史を経たころです。
我が国では、江戸幕府が倒れてからまだ30年足らずで、ちょうど日清戦争の翌年ということになります。
当初、クラブ内ではボクサーのタイプ固定についての意見が2つに分かれ、そのことについての議論がかなり交わされたようです。
元来ボクサーの先祖は、「ブレンバイザー」という、狩に使う犬を改良して基礎としたのですが、この「ブレンバイザー」は犬種名ではなく、漠然とそう言われていたもので、したがって地方によって「ブレンバイザー」には様々なタイプがあったのです。それだけに、ボクサーのタイプ固定にはそれぞれの地の人が、それぞれの意見を持ち、主張していたので、クラブは設立当初から混乱していました。
簡単に言いますと、従来のイギリスブルドックに近いタイプに固定するのか、それとも新たなタイプに改良していくのかということが論点となっていましたが、結局「ドイツボクサークラブ」という、もう一つのクラブが設立されることになりました。この2つのクラブは間もなく統一されましたが、1910年5月に最終的に双方の意見が合意されるまではほとんど分裂状態にありました。
犬籍簿登録第1号は1895年生まれの「ミュールバウアース・フロッキー」という縞の牡で、ご覧の通り当時のボクサーは、今日のボストンテリアに似たタイプでした。 |
ミュールバウアース・フロッキー (牡)
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ドクター・トエニッセンス・トム
(白のイギリスブルドック) |
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アルツ・シェッケン(茶)
(アルツ・フローラⅡの全妹) |
レヘナーズ・ボクス(茶) |
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アルツ・フローラ(濃縞) |
アルツ・フローラ(濃縞) |
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フロッキーの父は、白のイギリスブルドックでした。
当時のブルドックは、今日の完成されたブルドックとは違い、当時のボクサーとほぼ同じタイプだったようです。
フロッキーの母は「アルツ・シェッケン」という茶の牝で、フランス産の「アルツ・フローラ」という農縞の(2-1)という極近親繁殖犬でした。
フロッキーは1895年にミュンヘンで開かれたベルナード展で紹介されましたが、残念ながら種牡として特に目立った活躍は残していません。
しかし、フロッキーの同胎に「CH.ブランカv.アンガートーァ」という白の牝犬がいて、この犬の娘に1898年生まれの「メタv.d.パッセージ」という偉大な台牝がいます。メタは後代に大きな影響を及ぼした多くの種牡を出しました。
ここで先ず、メタの父系について解説しましょう。 |
メタ v.d. パッセージ (牝)
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ピッコロv.アンガートーァ
(白) |
マイエルス・ロルト
(縞) |
レへナーズ・ボクス(茶) |
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アルツ・フローラ(濃縞) |
アルツ・フローラⅡ |
レへナーズ・ボクス(茶) |
アルツ・フローラ(濃縞) |
マイエルス・フローラ
(茶) |
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CH ブランカv.アンガートーァ
(白) |
ドクター・トエニッセンス・トム
(白のイギリスブルドック) |
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アルツ・シェッケン(茶)
(アルツ・フローラⅡの全妹) |
レヘナーズ・ボクス(茶) |
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アルツ・フローラ(濃縞) |
アルツ・フローラ(濃縞) |
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ピッコロ v. アンガートーァ |
ブランカ v. アンガートーァ |
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血統表を見ていただくとわかりますが、フロッキー及びブランカの母であるアルツ・シェッケンの全姉(父母を同じくする姉)にアルツ・フローラⅡという牝がいて、この犬に自身の父であり、半兄(片親のみ同じ兄)であるレへナーズ・ボクスを配して、マイエルス・ロルトという金色縞の牡が出ます。
このロルトにマイエルス・フローラ(本犬の血統は不明)という茶の牝を配して生まれたのが、メタの父、ピッコロv.アンガートーァという白の牡です。後で出てきますが、このピッコロの全妹にミルツルという濃茶の重要な牝がいます。話はメタに戻りますが、つまりご覧のとおりメタは、アルツフローラの(5・4・4-4・3)という、厳しい極近親繁殖犬ということになります。
どんな犬種でも同じですが、新しい犬種として固定する過程には、この様にかなり厳しい近親繁殖が繰り返されるのです。これまで見てきたように、当時のボクサー犬界にとってアルツ・フローラがどれほど重要であったかということが解ると思いますが、同様にフローラの息子であるレへナーズ・ボクスもまた重要でした。ボクスは自身の母にも配合され、その娘にもまた配合されたのです。
一方、これらの系統の他にも重要な種牡がいました。フロック St. ザルヴァトーァ、ヴォータン、ボスコv.イマーグルンがその代表格です。これからの系統は、手持ちの資料不足のため詳しく説明することができませんが、私の知っている限りで説明します。
◆ フロック St. ザルヴァトーァ (1894年生まれ・茶色)
父はボクスSt.ザルヴァトーァ、母はマリーv.ニュムフェンブルクという犬で、フロックは明るすぎるくらいの毛色を持ち、額も平たい感じでしたが、フロッキーやメタv.d.パッセージとは違い、背も真っ直ぐで今日のボクサーに近いタイプの持ち主でした。
フロックはメタv.d.パッセージに配合されて、CH フーゴv.パルツガウ(牡)、CH
シャーニーv.d.パッセージ(牡)を出しています。
◆ ヴォータン (金色縞)
父はネロv.アシェンブレナー、母はヴェーバーズ・エラ(父:マイエルス・ズルタン、母:フレイス・ネリー)という犬で、好ましいバランスのボクサーでした。ここでメタv.d.パッセージの血統表を見ていただきたいのですが、メタの父であるピッコロv.アンガートーァの全妹にミルツルという濃縞の牝がいます。この牝にヴォータンを配してエラ・ダオエル(牝)、モーリツv.パルツガウ(牡)を出します。次にヴォータンはメタv.d.パッセージにも配合され、ブゼッカーズ・ローニー(牝)、CHギガール(牡)、プリンツマークv.グラオデンツ(牡)を出しています。
◆ ボスコv.イマーグルン(濃縞)
父はモレアオ、母はメタ(メタv.d.パッセージとは別の犬)という犬で、フロッキーのような、古いタイプのボクサーでした。ボスコはフロックSt.ザルヴァトーァやヴォータンほどの繁殖実績を残す事はできませんでしたが、フロックの娘であるフローラ・フルールという牝に配合されてローゼv.グラオデンツ(牝)やムッキーv.フォゲルスベルク(牝)という後代に影響を及ぼした台牝を出しています。
ここで、アメリカのAKCのボクサーについて少し触れたいと思います。
AKCに最初に登録されたボクサーは、アーヌルフv.グラオデンツ(1903年生まれ・縞)という犬なのですが、驚いた事にこのボクサーはアメリカ産だったのです。
アーヌルフの母犬は、ボスコの娘、ローゼv.グラオデンツで、父はヴォータンの息子、プリンツマークv.グラオデンツでした。しかし、プリンツマークがアメリカに輸出された記録は残っていません。
つまり、ローゼはドイツでプリンツマークと交配された後アメリカに輸出され、持ちこみ腹でアーヌルフを出産したものと思われます。
ローゼは1903年3月25日~28日に開催されたシカゴ展で紹介され、アメリカにおいて初めて知られたボクサーでした。
しかし、今日のアメリカ系ボクサーの発展は、この時代の犬がベースではなく、後で登場する4大基礎犬達をベースに発展したものです。
さて、話をドイツに戻しますが、これまで紹介してきた種牡、台牝を基礎に、新たな時代が始まります。
その中心的存在として、特にCH ロルフv.フォゲルスベルク、リーゴv.アンガートーァの活躍が挙げられます。
ロルフは縞の、リーゴは茶のボクサーの代表犬として知られ、それそれの毛色のボクサーの向上に貢献しました。
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