本文へジャンプ
                               
ボクサーの歴史Ⅱ


前章の後半に登場した3頭の種牡と、その代表的な直仔をもう一度以下にまとめてみましょう。



◆フロック St. ザルヴァトーァ × メタ v.d. パッセージ◆

フーゴ v. パルツガウ シャーニー v.d. パッセージ



◆ヴォータン × ミルツル◆

・モーリツ v. パルツガウ(牡) ・エラ・ダオエル(牝)

モーリツ v. パルツガウ



◆ヴォータン × メタ v.d. パッセージ◆

・ギガール(牡)
・ブゼッカーズ・ローニー(牝)

ギガール



◆ボスコ v. イマーグルン × へクセ v. フォゲルスベルク◆

・ムッキー v. フォゲルスベルク(牝)



この前章の後半に登場した3頭の種牡と、その代表的な直仔をもう一度以下にまとめてみましょう。
章では、これらのボクサー達を基礎にした2頭の偉大な種牡、リーゴv.アンゲルトーァとロルフv.フォゲルスベルクについて説明したいと思います。



CH リーゴ v. アンゲルトーァ(1904年生まれ・茶)

CH
シャーニーv.d.パッセージ(茶)
フロックSt.ザルヴァトーァ(茶) ボクスSt.ザルヴァトーァ(茶)
マリーv.ニュムフェンベルク
メタv.d.パッセージ ピッコロv.アンゲルトーァ(白)
CHブランカv.アンゲルトーァ(白)
エラ・ダオエル ヴォータン(金色縞) ネロv.アシェンブレナー
ヴエーバース・エラ
ミルツル(濃茶) マイエルス・ロルト(金色縞)
マイエルス・フローラ(茶)


父は、上記に写真のある、シャーニーです。血統表の中の、ピッコロとミルツルは、全兄・妹の関係です。
血統表を見ていただくと気づきますが、この時代にしては、たいした近親繁殖ではないことがわかります。
ところで、父のシャーニーや、祖父のフロック、曽祖父のボクスは全てかなり薄い茶でしたが、リーゴは濃い赤みがかった茶色で、写真を見比べても判るように明らかに父のシャーニーとは異なる近代的なタイプの持ち主でした。リーゴは、母の父、ヴォータンの影響を強く受けているといわれています。
リーゴは2歳の時に1906年のフランクフルト展で1席を獲得し、またボクサーでは初めて1000マルクという高値を付けられた犬でした。彼のおかげで茶のボクサーが、あっという間に縞のボクサーを圧倒し、リーゴ自身も優秀なタイト
ル犬を出しましたが、種牡としての後継犬を残すことはできませんでした。つまり、彼の息子にあまり仔出しの良い種牡がいなかったのです。ところが、彼の良さはその娘を通じて受け継がれていきました。
言いかえれば、彼の娘に仔出しの良い台牝が多く、例えばCHミロv.アイゲルシュタインやCHロルフv.ヴァルハルといった後世の名犬の母親は、リーゴの娘まのです。このように、リーゴの血は、サイヤーラインというよりは、母系を通じて残って行くことになります。



CH ロルフ v. フォゲルスベルク (1908年生まれ・縞)

CH
クルトv.パルツガウ(茶)
CH
フーゴv.パルツガウ(茶)
フロックSt.ザルヴァトーァ(茶) ボクスSt.ザルヴァトーァ(茶)
マリーv.ニュムフェンベルク
メタv.d.パッセージ(白) ピッコロv.アンゲルトーァ(白)
CHブランカv.アンゲルトーァ(白)
エルゼv.パルツガウ(茶) モーリツv.パルツガウ(茶) ヴォータン(金色縞)
ミルツル(濃茶)
ブゼッカーズ・ローニー ヴォータン(金色縞)
メタv.d.パッセージ(白)
ヴェヌスv.フォゲルスベルク(縞) ホッホシュタインズ・ナーツィ(茶) CH
フーゴv.パルツガウ(茶)
フロックSt.ザルヴァトーァ(茶)
メタv.d.パッセージ(白)
ホッホシュタインズ・エリー(茶) ・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
フリッガv.フォゲルスベルク(縞) ギガール(縞) ヴォータン(金色縞)
メタv.d.パッセージ(白)
ムッキーv.フォゲルスベルク ボスコv.イマーグルン(縞)
へクセv.フォゲルスベルク


父:クルトv.パルツガウ


母方祖父:ホッホシュタインズ・ナーツィ 母方祖母:フリッガv.フォゲルスベルク


ロルフはリーゴとは対照的に、近親繁殖で固められています。血統表で見るように、サイヤーラインで見ればフーゴの(2-3)ですがよく見ればヴォータンの(4・4-4)で、ヴォータンがかなり強く入っています。
フーゴは、リーゴの父、シャーニーの全兄ですが、CHクルトv.パルツガウ、CHレームスv.パルツガウ、ホッホシュタインズ・ナーツィ、ハンスv.パルツガウなどの後継種牡を出し、シャーニーよりも種牡として成功しました。
しかしロルフは、このようにフーゴの(2-3)の近親繁殖犬にもかかわらず、ヴォータンの良い点を受け継いだと言われています。
これには大きな理由があります。というのも、ロルフの父系を見ると、サイヤーラインは代々茶で、母方祖母のエルゼは、縞であるヴォータンの(2-2)の極近親繁殖犬にもかかわらず茶です。
一方、ロルフの母方祖父、ホッホシュタインズ・ナーツィはフーゴの仔で茶ですが、母ヴェヌスの母系は、フリッガ、ギガール、ヴォータンと代々縞で、しかもロルフには、ギガールの大きな欠点である弓形の背が代々遺伝していること
からも、ロルフ自身は母系から大きな影響を受けていると言われているのです。
ところで、ロルフは体高24インチ(約60センチ)で、当時としてはかなり大きい犬で、特に頚部、肩、後躯、四肢が素晴らしく、そのうえ理想的な頭部を持っていました。どちらかというと晩成型で、2歳の時にDr.ジュリウス・シューライン氏が路上で見かけたロルフに傑出した素質を見抜き、その後初めて審査会に出陳されて、以降素晴らしい賞歴を残しています。後に、かの有名なドーム犬舎のシュトックマン婦人がロルフを手元に置く事になり、ドーム犬舎の基礎、ひいては近代ボクサーの基礎を築く名種牡として名を残しています。
しかし、ロルフは当初はなかなか種牡としては評価されませんでした。それは、彼の欠点である弓形の背が好まれなかったからです。しかし、彼は良い意味で期待を裏切り、次々と素晴らしい仔を出しました。その一部を挙げると、・シェルムv.アンゲルトーァ (牡) ・CHロルフv.ヴァルハル(牡) ・Sieger、Am.CHダンプv.ドーム(牡) ・Siegerinラッセルv.ドーム(牝)・Siegerinベッティv.ゴールトライン(牝)等など他にも沢山いますが、上記の犬達は、その後特に種牡、あるいは台牝として活躍した犬達です。
また、ロルフの仔は各国へ渡りました。例えば、シェルムv.アンゲルトーァ、ジークフリートv.ヒルシェパルクはスイス、ヴォータンv.ドームはスウェーデン、ダンプv.ドームはアメリカへと渡りました。
ダンプはその後、ボクサーで初めてアメリカチャンピオンを完成しました。1915年のことです。
このようにロルフは種牡として大成功しましたが、1914年、ドイツは第1次世界大戦へと突入し、ロルフの活躍は中断させられてしまったのです。ドイツは多くの軍用犬を必要とし、ボクサーは60頭ほど参加しましたが、ロルフもそのうちの1頭として、シュトックマン氏の率いる軍に参加することになります。ドイツ側の戦況は厳しく、多くの軍用犬が戦死していきましたが、数少ない生き残りグループの1頭として無事戻ってきたロルフは、11歳の時、ミュンヘンで開かれた審査会に参加し、何と5回目のSiegerタイトルを獲得したのです。
審査評には、「まだ美しいロルフ」とだけ書いてあったそうです。
なお、1912年から、縞と茶の犬を別々に分けて審査するようになりました。


さて、このようにリーゴは母系を通じて、ロルフはサイヤーラインを広げて後のボクサー界に大きく貢献するわけですが、この2頭に共通することは、共に母系のヴォータンからその優れた点を受け継いだということです。そして面白い事に、リーゴは茶の牝、ロルフは縞の牡に仔出しの良い犬を残しました。もちろんその後は、サイヤーラインを広げたロルフの血が重要になってきます。というのも、後の4大基礎犬のうちの1頭であるジグルトv.ドームは、他の3頭の祖父犬なので最も重要な種牡ですが、ジグルトの父、イヴァインv.ドームは、その血統中にロルフが6本も入っている、ロルフの計画的な近親繁殖犬なのです。
前に述べたように、ロルフの直仔達は各国へ渡ったわけですが、ドイツに残った彼の直仔の中で一番活躍したのが、Chロルフv.ヴァルハルです。
ちなみにこのロルフv.ヴァルハルの母、ドーラv.フォゲルスベルクはリーゴの娘です。このロルフのことについては3章で説明したいと思います。

さて、最後に、リーゴ、ロルフの他に当時活躍した牡のボクサーをもう1頭付け加えておきたいと思います。


CH ミロ v. アイゲルシュタイン(1911年生まれ・茶)

CH
レーモスv.パルツガウ
CH
フーゴv.パルツガウ
フロックSt.ザルヴァトーァ
メタv.d.パッセージ
ノエセルス・ロッテ モーリツv.パルツガウ
ブゼッカーズ・ローニー
ルッティーv.アイゲルシュタイン CH
リーゴv.アンガートーァ
CHシャーニーv.d.パッセージ
エラ・ダオエル
ヴェラリンデンフェルスv.アイゲルシュタイン モーリツv.パルツガウ
ネリーv.ニンデンファルス


ミロの父、レーモスは、ロルフの父、クルトと殆ど同じ血統です。共にフーゴの息子であり、レーモスの母は、クルトの母であるエルゼの全妹なのです。
ミロの母、ルッティーはリーゴの娘で、ルッティーの母方祖父はクルトの母方祖父と同じモーリツです。ルッティーの母方祖母ぼ系統はよくわかりません。
しかし、ミロがロルフとかなり近い血統関係にることは確実です。
写真のとおり、ミロは素晴らしい茶のオスで、リーゴの後はこのミロが茶のリンクを華やかにしていました。しかし。残念ながら種牡としたは成功できませんでした。それは、ミロの仔は緩い肩と、広がった足の握りが強く遺伝したということもありますが、早死にしたのがそもそもの要因のようです。直仔には、Siegerオマールv.ファルケンホルスト(牡)も出しましたが、ミロに匹敵する後継犬は出ませんでしたし、孫のsiegerタッソv.d.シュプレーやタッソーの仔、ハラスv.ザッハゼンホーフ(牡)はミロの良い点を一番多く受け継いでいましたが、いずれも早死にしてしまったのです。またミロの仔は総じて頭部が小さいということも指摘されていました。
このように、ミロは種牡として成功することができなかったどころか、彼が生まれた15年後の1926年には、すでにドーム犬舎のシュトックマン婦人が、ミロの系統は完全に消えてしまったと言っています。


   Copyright © 1999-2019 THE BOXER. All rights reserved.