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ボクサーの歴史Ⅳ


1925年、ボクサーが勤務犬として承認されたことは前章で触れましたが、同じ年、白と黒のボクサーをスタンダードから除外しました。白いボクサーが除外の対象となることは皆さんご承知のとおりですが、この時対象となったのは真っ白のボクサーで、いわゆる斑のあるボクサーがその対象になったのは、1938年のことです。
白や斑のボクサーがスタンダードから除外された理由については、「ボクサーの課題」の中で解説しておりますので参照していただければ幸いですが、ここでは黒いボクサーについて述べてみたいと思います。
私達には全く馴染みの無い黒いボクサーについてですが、当時グラーフブリッテv.グラオデンツという真っ黒のボクサーがいて、これが種牡として使われたために、優性に遺伝する、この黒いボクサーが増えたようです。
さて、黒いボクサーが除外の対象になった理由についてですが、黒いボクサーは顔貌表現において好ましくなく、また白や斑のボクサーとは逆に、黒のボクサーというのは、ボクサーの犬種固定の歴史から見ても全く不自然であるということで、除外の対象となったものですが、白や斑が除外された理由に比べ曖昧なために、黒のボクサーの除外に関しては、ドーム犬舎のシュトックマン婦人をはじめ、反対する声も多かったようです。
とにかくもこうして白、斑、黒のボクサーがスタンダードから除外され、同じ1938年、使役犬としての見地から牡犬の体高をさらに3センチ、つまり現在の63センチに設定し、ほぼ今日のスタンダードが確立されました。

さて、前章の終わりに、当時の優秀な種牡はサイズが小さかった事について触れましたが、ブーコv.ビーダ―シュタインもまたその中の1頭でした。
その頃、シュトックマンのドーム犬舎に、ロルフv.フォゲルスベルク(3-2)の血統を持つツヴィーベルv.ドームという大きな茶の台牝がおり、この牝にブーコを交配して生まれたのが、イヴァインv.ドーム(茶)です。


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イヴァイン v. ドーム (茶)



イヴァインは体高62センチで、当時としては大型の種牡でした。深い胸部と力強く正しい幅のある口吻を具えた素晴らしい頭部を持っていました。ただ、攻撃的な稟性が災いして、その素晴らしい資質を持っていたにもかかわらず、ショーでは良い成績を収めることはできませんでした。しかし、イヴァインは種牡として素晴らしい結果を生みました。彼自身はSiegerタイトルを得ることはできませんでしたが、彼は2頭のSiegerを世に送りました。
Siegerinテアv.イゼベック(茶・牝)と、かの4大基礎犬の祖、Int.CHジグルトv.ドーム(茶)です。



Int.CH ジグルト v. ドーム (1929年生まれ・茶)
イヴァインv.ドーム CH
ブーコv.ビーダ―シュタイン
CHツェザールv.ドイテンコーフェン
ミラv.ゴールトライン
ツヴィーベルv.ドーム ロルフv.イスマニンク
CHラッセルv.ドーム
ベルリンダ・ハッシア アイ・ハッシア CHツェザールv.ドイテンコーフェン
ヴィヴィ・ハッシア
アニタv.シュラ―シュタット ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・


言わずと知れたボクサー4大基礎犬の1頭で、他の3頭の祖父にあたります。
CHツェザールv.ドイテンコーフェン(3-3)という近親繁殖で父母ともにロルフv.フォゲルスベルクの血を濃く受け継いでいます。ジグルトは、体高61センチで頭部はそれほど気高くはないものの、体躯構成は抜群で、特に前後肢は模範的なものでした。
ジグルトは、ドゥーデルv.ファルハオス(父:ツェザールv.ドイテンコーフェン 母:イヴァインv.ドームの娘)との間に、Siegerツェロ(縞)、ツォルン(縞)、ツィムト、Sigerinツァイラ、Siegerinユスト、Siegerクセルクセス(縞)等、ドーム犬舎を代表する特筆すべき直仔を輩出しました。すべてイヴァインの(2-3)の近親繁殖犬になります。
このうち、ツェロ、ツォルンは共にSiegerの座を競っており、ショーではいつもツェロが上位にランクされましたが、ツォルンは種牡として父ジグルトの後継犬になりました。
4大基礎犬である兄弟CHルスティヒv.ドーム(茶)、CHウッツv.ドーム(茶)の父となり、父ジグルトの血を後世に残す事に貢献したのです。
また、クセルクセスはショーで活躍する機会もなくスイスへ渡りましたが、その前にチェックv.フンネンシュタインの娘、ザクトニアス・アントルに配し、4大基礎犬のCHドリアンv.マリエンホーフ(縞)を輩出しました。
しかし、ジグルトの血はこんなものではありませんでした。
ジグルトの血は、かなりの間ヨーロッパのボクサー界を支配しました。30年代では、1937年にチェックの孫であるSiegerアルトv.d.トロイエンヴァハトを除いた全てを占めました。当時の犬席簿に登録されたボクサーの約半数がドーム犬舎の血を引く犬達で、この頃の有名なショーウィナーやSieger達は、ほぼ大半がこの血統で占められました。
それどころか、ジグルトは彼の孫達、ルスティッヒ、ウッツ、ドリアン共々アメリカへ渡り、アメリカでボクサーブームを起こすキッカケをつくりました。この4頭が4大基礎犬といわれる理由は、こうしてヨーロッパのみでなく、アメリカにもその影響力を絶大に及ぼしたからです。
ジグルトは5歳の時、、娘のユストv.ドームと共にアメリカ・カリフォルニア州のバーメア犬舎に入舎し、当犬舎の宝として大切にされ、Am.CHクオリティーofバーメア等を輩出し、12歳の大往生を遂げました。



ジグルトとツォルン v. ドーム


ツェロ v. ドーム クセルクセス v. ドーム



クオリティ of バーメア


Int.CH ルスティッヒ v. ドーム (1933年生まれ・茶)

ツォルンv.ドーム CH
ジグルトv.ドーム
イヴァインv.ドーム
アニタv.シュラ―シュタット
ドゥーデルv.ファルハオス CHツェザールv.ドイテンコーフェン
オッシーv.ドーム
エスタv.d.ヴルム CH
ジグルトv.ドーム
イヴァインv.ドーム
アニタv.シュラ―シュタット
CH
ウニv.d.ヴルム
CHエドラーv.イザ―ルストラント
メタv.レッヒェンベルク


祖父ジグルトの(2-2)という極近親繁殖犬で、ジグルトの血をヨーロッパ内に定着させた一番の功績犬だといえます。
ルスティッヒは体高63センチで、ジグルトから、父ツォルンへと引き継がれた体躯はさらに洗練されたものとなり、また申し分のない模範的な頭部を有していました。その上稟性も良く、種牡としても抜群でした。
祖父ジグルトは当然のことですが、4大基礎犬の他の2頭、ウッツとドリアンに比べ、ヨーロッパにおけるルスティッヒの影響力は特に大きなものがあります。ウッツとドリアンに比べ、ジグルトとルスティッヒは数的な面から見てもヨーロッパにおける繁殖数が多いのですが、それだけでなく質的にもやはり少し抜けたものがあったようです。
ルスティッヒの直仔群を挙げればきりがありませんが、後世に大きな影響を与えた種牡を挙げると、CHダニロv.ケーニヒスゼー(縞)、CHアヤックスv.ホルダーブルク(茶)、同胎のCHアルノv.ホルダーブルク(茶)、CHブーテンv.エルブフェ―ル(茶)などです。
これらは戦後の近代ボクサーを固定させた重要な種牡です。また、CHツュンティンクv.ドームはイギリスに渡り、イギリスのボクサー界に強い影響を及ぼしています。
祖父ジグルトは、4大基礎犬の中でも、他の3頭の祖父であるという意味では重要ですが、そのサイヤーラインを広げ、固定させたという意味では、祖父ジグルトの勝るとも劣らない程、ルスティッヒの近代ボクサーに与えた影響は大
きいと考えられます。
ドーム犬舎の宝であったルスティッヒは、しかし惜しまれながらもアメリカに渡りました。シュトックマンも彼を手放すことについては相当悩んだようで、シュトックマンからアメリカに送られてきたルスティッヒの首輪には、「私は栄光に満ちたルスティッヒです」という名札が付いていたそうです。
ルスティッヒは、イリノイ州のトゥルゲイウッド犬舎の宝となり、Am.CHクエストofトゥルゲイウッド等を輩出し、アメリカでも活躍しました。またルスティッヒの渡米以降、彼の子供達が沢山渡米し、その多くがアメリカで種牡として大活躍しました。


ダニロ v. ケーニヒスゼ―


アヤックス v. ホルダーブルク ブーテン v. エルブフェ―ル



Int.CH ウッツ v. ドーム (茶)



ウッツは、ルスティッヒの全弟で、兄ルスティッヒに比べ、やや毛色が薄い点や体高が高い点、以外はルスティッヒによく似ていましたが、兄ほどの気高さは無かったようです。
勿論ドイツのショーではトップクラスで、国内での種牡としての活動もそこそこに、アメリカ、ウィスコンシン州のマゼリン犬舎に入舎しました。
ウッツが種牡として大活躍したのはアメリカに渡ってからのことで、同じ時期にマゼリン犬舎にいたドリアンv.マリエンホーフと共に、アメリカの2大系統を築き上げました。代表直仔としては、全米最大級のウエストミンター展で、1947年にボクサー初のBest in Showを獲得した、アメリカボクサー史上に残るm.CHウォーロードofマゼリン(茶)や、種牡として大活躍したAm.CHピッコロv.d.シュトゥッツガルター(縞)等多数のAm.CH犬が挙げられます。


ウォーロード of マゼリン ピッコロ v.d. シュトゥッツガルター



Int.CH ドリアン v. マリエンホーフ (縞)

CH
クセルクセスv.ドーム
CH
ジグルトv.ドーム
イヴァインv.ドーム
ベルリンダ・ハッシア
ドゥーデルv.ファルハオス CHツェザールv.ドイテンコーフェン
オッシーv.ドーム
ザクソニアス・アントル CH
チェックv.フンネンシュタイン
CHツェザールv.ドイテンコーフェン
ディーナv.フンネンシュタイン
ユボンネv.マリエンホーフ ラオゼルv.フランケンユーラ
フィーv.マリエンホーフ


父クセルクセスは若くしてスイスへ渡ってしまったので、数少ない直仔の中から出たのがドリアンで、また母アントルの父、チェックv.フンネンシュタインも若くしてアメリカに渡ったために、ツェザールの系統でもドリアンは少々異色の存在と言えます。
ルスティッヒとウッツが、ジグルト(2-2)の近親繁殖犬だけに、やはりドリアンだけが異タイプと言えますが、ドリアンこそツェザールの系統的な特徴をよく表したボクサーです。
ドリアンはやや小柄なボクサーでしたが、運動性能に優れた犬で、美しい金色縞を有し、当時の縞のボクサーの中では抜きん出た存在でした。ドリアンもまた24胎のみをドイツに残して、若くしてアメリカに渡りました。ウッツと同じマゼリン犬舎に入舎し、4大基礎犬中アメリカでの影響力を最も及ぼした種牡です。
当時アメリカの犬界紙は、この大物の写真と記事で生め尽くされるほどの人気振りで、多くの優秀犬を輩出しました。
残念ながら、手持ちの資料に彼の直仔の写真が無いのですが、中でもAm.CHデューク・コロニアンは種牡として最高の活躍をし、近代アメリカボクサーに大きな影響を及ぼしました。



以上、4大基礎犬までのボクサーの歴史をざっと解説しましたが、最後に今日のアメリカタイプボクサーに強い影響力を残した2頭の種牡を紹介してこのコーナーを終わりたいと思います。



Am.CH マゼリン・ザザラック ブランディー (縞

Am.CH
メリー・モナーチ
Am.CH
マーデルフス・エル・チコ
Int.Chドリアンv.マリエンホーフ CHクセルクセスv.ドーム
ザクソニアス・アントル
Am.CH
マーデルフス・ミス イヴ
CHクラスv.d.ブルーテナオ
Am.CHキッティv.ウーラントシェーエ
ジェムofザ シーズン CH
ユストv.ドーム
Int.CHジグルトv.ドーム
ドゥーデルv.ファルハオス
スターofベスレヘム Int.CHウッツv.ドーム
キシディーofマゼリン
Am.CH
ウォーベイビーofマゼリン
Int.CH
ウッツv.ドーム
ツォルンv.ドーム Int.CHジグルトv.ドーム
ドゥーデルv.ファルハオス
スターofベスレヘム Int.CHウッツv.ドーム
キシディーofマゼリン
シンフォニーofマゼリン nt.Chドリアンv.マリエンホーフ CHクセルクセスv.ドーム
ザクソニアス・アントル
CH
クローナv.ツヴェルゲック
Int.CHルスティッヒv.ドーム
ブリッタv.ケーニヒスゼ―

・ドリアンv.マリエンホーフ (3-3)
・ウッツv.ドーム (4-2)

・ジグルトv.ドーム (4-4・4)

1949年のウエストミンター展で、ボクサーとしては2頭目のBest in Showを獲得しました。
4代祖までを見れば、上記のような近親繁殖ですが、実はクラスv.d.ブルーテナオはルスティッヒの息子ですので、ルスティッヒ(5-4)にもなります。



Am.CH バング アウェイ ofシラークレスト (茶)

Am.CH
アーサ メジャーofシラークレスト
Am.CH
ヨバングofシラークレスト
Am.CH
デューク・コロニアン
Int.CHドリアンv.マリエンホーフ
CHクローナv.ツヴェルゲック
マデリアofシラークレスト Int.CHウッツv.ドーム
オーぺofシラークレスト
アンブラofシラークレスト ウィールアウレイofマゼリン Am.CHカヴァリアofマゼリン
Am.CHマゼリン・レオケイディー
Am.CH
オラクルofシラークレスト
Am.CHデューク・コロニアン
オーデofマゼリン
ヴェリリー ヴェリリーofシラークレスト Am.CH
クセボニーofマゼリン
ナイトキャップofシラークレスト Am.CHエンディーミオンofマゼリン
オーインクルofシラークレスト
マッドキャップofシラークレスト Am.CHコバングofシラークレスト
オニクスofシラークレスト
Am.CH
クエスタofシラークレスト
Am.CH
コバングofシラークレスト
Am.CHデューク・コロニアン
カンタトリックスofマゼリン
オヴェイションofシラークレスト Am.CHカヴァリアofマゼリン
オーデofマゼリン

・デューク・コロニアン (3-4・4)

・カヴァリアofマゼリン (4-4)

・オーデofマゼリン (4-4)

シュトックマン婦人がショーの審査の際に、生後約70日のバングアウェイをそのショーの最優秀犬に選出したことから一世風靡した名犬です。当時バングアウェイはまだ正式な犬名が付いておらず、この受賞に「このまま勝ち進め」という意味で繁殖者のハリス氏が名付けました。
血統的には5代祖まで見ると、4代祖のオ―ぺとコバングはともにデューク・コロニアンの直仔で、実際にはデューク・コロニアン(3・5-5・4)になります。ちなみにデュークの父はドリアンで、デュークの母クローナv.ツヴェルゲックの父はルスティッヒv.ドームですから、ドリアンとルスティッヒの血がかなり濃いということです。

いづれにせよ、アメリカのボクサーの全父系は、辿れば必ず4大基礎犬のいづれかに辿りつきます。
しかし、ヨーロッパのボクサーは全てが4大基礎犬に辿りつくわけではなく、特に1060年代後半以降のボクサーは、ツェザールv.ドイテンコーフェンに辿りつくものが多くなっています。
ただ確実に言える事は、今日存在する全てのボクサーには、かならず4大基礎犬の血が流れており、そこにはドイツ系、アメリカ系の垣根はないということです。
貴方がボクサーの仔犬を買い求めた時、その仔犬には確実に彼らの血が流れているのです。

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